東南アジア全体の発展を促すミャンマーの鉄道網


マスタープランのお披露目セミナーの出席者たち(著者撮影、以下同)

■ 新しい指針

 国の方針とは、こうして決まっていくのだろうか。その場は、確かに、熱気と、高揚感と、いささかの緊張感に満ちていた。

 「A New Directon(新しい指針)」と題したオリエンタルコンサルタンツ(現・オリエンタルコンサルタンツグローバル)の柴田純治総括のプレゼンテーションは、前半と後半を合わせて100分近くにおよんだ。

 「全国運輸交通プログラム形成調査」の概要や、同時に実施したフィージビリティースタディー(F/S)の結果、そしてマスタープランの内容が次々と発表される。

 「大きなお絵描きのようなもの」――。ふと、いつか聞いた柴田総括の言葉を思い出した。そう、この日柴田氏が話していたのは、まさに、ミャンマーの運輸交通インフラ全体の将来の姿を描いた壮大な「絵」だった。

 雨期にもかかわらず、朝から晴天に恵まれた2014年9月16日。ミャンマー全土を対象にした運輸交通セクターの開発戦略を策定し、運輸交通インフラの在るべき姿を検討するため、1年半にわたり実施されてきた「全国運輸交通プログラム形成調査」の集大成ともいうべきエグゼクティブ・セミナーの開会にあたりあいさつに立ったニャン・トゥン・アウン運輸大臣は、感慨深げだった。

 大臣は、「2012年、羽田雄一郎国土交通相(当時)と覚書を交わしスタートしたこの調査は、計6回の関係者調整会議(JCC)を経て、両国が議論を重ねつつ一緒に進めてきた」と振り返った上で、「これは、省庁の壁を越えて運輸交通分野の将来像を描いた、わが国初めての包括的なマスタープラン」だと歓迎。

 さらに、「この事業は終わりを迎えたのではない。序章が終わり、いよいよ本編が始まるのだ」とした上で、「今度は私たちの番。このマスタープランを国会に提出し、連邦政府からの承認を受けてミャンマーの国作りのバイブルにしたい」と力強く語った。

スピーチをするニャン・トゥン・アウン運輸大臣

来場者からは活発な質問が出た
■ 他国に学べ

 続いてあいさつに立った国際協力機構(JICA)の田中雅彦ミャンマー事務所長は、「ミャンマーの扉は世界に開かれた。アセアン地域の統合につながる回廊の要衝に位置するこの国の交通分野計画には、さまざまな関係者との間で連携とシナジーが求められる」と発言。

 先の大臣の発言を受けて「マスタープランを分厚い書類のままとどめず、実施に移していくことが重要」だとした上で、「ミャンマー政府がこのマスタープランに基づいて国作りを進めていくのなら、JICAはそれを全面的に支援したい」と述べた。

 その後、社会基盤・平和構築部の小泉幸弘課長が登壇し、このセミナーに出席するためにどうやってヤンゴンから来たか会場に問い掛けた。

 同氏は、3分の1が飛行機、3分の2がバスや車で、鉄道はゼロという結果を受けて、「ヤンゴンとネピドーの距離は約320km。鉄道が最も優位性を発揮できる約3時間の距離」だと指摘した上で、鉄道が将来、他の交通機関と並び移動の選択肢の1つとして人々に活用されるポテンシャルを秘めていることに強い期待を示した。

 さらに小泉課長は、ベトナムが1990年初頭までミャンマーとほぼ同程度の人口を擁し、同時期に経済を開放して内外からの注目を集めるなど、多くの共通点を有していたことを紹介。

 その後20年の間にベトナムが急速な経済成長を遂げ自動車の保有台数が急増し、市内の交通対策が喫緊の課題になっていることに触れ、「ミャンマーは今日、20年前のベトナムとほぼ同じ水準にあるが、発展スピードはもっと速い。経済成長に対してインフラ整備が手遅れになる前に、ベトナムをはじめ他国の経験に学び、長期的な指針となる交通計画を策定し、着実に対策を実施していくべき」と訴えた。

ヤンゴン市内を走る環状線の様子。靴を脱いで車窓の景色を楽しむ乗客

■ 回廊ベースの開発を提案

 この日お披露目されたマスタープランは、綿密な社会経済分析と試算に基づきまとめられた。

 周知の通り、ミャンマー政府は現在、テイン・セイン政権の下で「2015年まで年7.2%のGDP(国内総生産)成長率を実現する」との開発目標を掲げ、意気盛んに国内の開発に取り組んでいる。

 目標通りの経済成長を達成すると、2035年には経済規模が現在の5.4倍となる計算だ。しかし、その暁には、道路や鉄道、航空、内陸水運など、複数の物流インフラの輸送容量が不足することが判明した。

 そこで、柴田総括らは、目標通りの経済規模を支えられるだけの運輸インフラを整備するために2014~2030年の間に必要な投資額を試算。全体で4.9兆円に上ることが分かった。

 その上で、今回のマスタープランでは、2020年までの最初の6年間は、まずは航空、道路、鉄道、港湾、内陸水運など、国の経済成長に直接つながる基幹交通インフラに集中的に資金を投入し、その後、2021~2030年には、基幹交通に加えて地方にもバランスよく展開していくことを提案。

 さらに、今後の開発アプローチとして南北方向および東西方向に計10本の経済回廊を定め、うち優先回廊とした5本の回廊上の具体的なプロジェクトを挙げている。

 実は、この調査が終盤を迎えた2014年8月、激震が走った。同年3月末から4月上旬にかけて31年ぶりに実施された人口センサス(国勢調査)の結果、これまで約6000万人と言われていた人口が、約5000万人に下方修正されたのだ。

 投資先として、あるいは市場として、世界から高い関心を集めていた同国の人口規模が約1000万人少ないという事実は、さまざまな面に影響を及ぼすであろう。新しい国作りを進める上でも、人口はあらゆる政策の基盤となるだけに、その波紋は大きい。

 もし、ヤンゴンやマンダレーなどの都市人口を過大評価していたのなら海外からの投資に影響があるだろうし、ビルマ族の人数を過大評価し少数民族を相対的に少なく評価していたのなら、運輸交通政策としても地方への比重を高める必要が出てくるかもしれない。

 さらに、GDPを人口で割った1人当たりGDPの数値が変わり、後発開発途上国(LLDC)とは認められなくなるかもしれない。その場合は、当然、円借款の貸付条件も大きく変わってくるはずだ。

 センサスの結果が今回のマスタープランに及ぼす影響を見定めるためにも、総人口が減少したことの背景にある要因や内訳など、正しい人口構成を見極める必要がありそうだ。


ネピドーのショッピングモールに出現したATMコーナー


ヤンゴンのダラ桟橋のふもとにはフェリーやバスで使えるICカード売り場が設置された


■ 変化の波に残した足跡

 これまでたびたび指摘してきたように、運輸交通インフラは外資の進出判断を直接左右し、国家経済の発展にも大きな影響を与える。

 しかも、タイ、中国、インドと国境を接し、インドシナ半島を横断する東西と南部の2本の経済回廊とインド経済圏をつなぐ要衝にあるこの国の運輸交通インフラ政策は、同国のみならず、地域全体の将来にとって非常に重要な指針となることは言うまでもない。

 そんな壮大なミッションを背負い、29人の日本人専門家を動員して華々しく始まったこのマスタープラン調査は、この国の今後にどういう一石を投じたのだろう。

 「これは終わりではない。これから本編が始まるのだ」という大臣の言葉通り、このセミナーから新たなステージが始まった。実際、このマスタープランを受けて、すでにヤンゴン~マンダレー間の鉄道を改修するための詳細設計調査(D/D)がスタートしている(今後継続して紹介予定)。

 「1カ月前の情報はもう古い」とささやかれるほど、めまぐるしく変化するミャンマ――。

 ここ数年の間にも、工事中だった立体交差が完成していたり、ホテルでクレジットカードの支払いが可能になったり、以前はほとんど見かけなかったATMを道端やショッピングモール、高速道路沿いのサービスエリアで見かけるようになるなど、現地を訪れるたびに、毎回何かしら変化があった。

 日本との関係も強まる一方だ。2012年に38人乗りの飛行機で成田空港~ヤンゴン線を週3回就航させた全日本空輸(ANA)は、いまや200人乗りのボーイング767を毎日飛ばしている。

 ミャンマー国際航空も2014年10月、関西空港~ヤンゴン線の定期チャーター便を週に3往復させることを発表した。ヤンゴン市内の日本食のレストランの数も、いまや100軒を優に超えるという。

 かつてこの国は北朝鮮やイラクと並び「圧政の拠点」と糾弾され、国際社会からも孤立してきた。

 しかし、2013年以降の取材でこの国を歩いても、もはや、植民地時代に大英帝国の警察官としてこの地に赴任し、後に作家となったジョージ・オーウェルや、彼の足跡をたどってこの国を旅した米国人ジャーナリストのエマ・ラーキンが書き残しているような「息詰まる重苦しさ」や「恐怖の息遣い」を人々から感じることは筆者にはなかった。

 「方向を誤ればエネルギーが分散し、無意味な渦が発生するだけの勢いを、どうすれば骨太の水流にし、安定した国づくりを実現できるのか」という筆者の問い掛けに対して、このマスタープランはどんな答えを用意してくれたのか。それを探しながら、変わり続けるこの国を、もうしばらく見続けることにしよう。

 (つづく)

 本記事は『国際開発ジャーナル』(国際開発ジャーナル社発行)のコンテンツを転載したものです。
玉懸 光枝

JBpress












Posted by hnm on 木曜日, 8月 06, 2015. Filed under , , , , , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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