問題なのは、今ポンチャーシンがどこにいるのかということです。ポンチャーシンについての情報をあらゆる日刊紙、週刊誌から抜粋してみました。




ポンチャーシン(彭家声)についてわかったこと



現在、シャン州の北部、コーカン地域で行われている戦闘の張本人、ポンチャーシンについての情報をあらゆる日刊紙、週刊誌から抜粋してみました。


ちょっとまとまりがありませんが、参考のために。


(多分、まだ誰もやっていないと思うので)

<ポンチャーシン(彭家声)についてわかったこと>


●現在84歳(1931年生まれ) 


●中国名:彭家声 (なんと読むのかわかりません)


●武装組織のビルマ民族民主同盟(MNDAA)を設立。しかし、政府はこれを認めず「コーカン軍」と呼んでいる。
 国軍は「逃亡ゲリラ」と呼び捨てにしている。


●元ビルマ共産党軍の第404連隊の隊長


●軍事政権時代に停戦協定に調印


●停戦協定の後、軍事政権幹部(特にキンニュン元首相)と親しい間柄になる。


●コーカン地域は軍事政権時代、麻薬生産、輸出、ギャンブルの巣窟となった。


●中国は国境地域に60年以上にわたり、人材や武器の援助をしている。現在もコーカン軍の後ろ盾になっていると思われる。


●コーカン民族(漢族)は19世紀に中国から流入した人々。
コーカン地域は1960年から1989年までビルマ共産党の支配に入る。


●1963年、ビルマ国軍がポンチャーシンの軍を初めて攻撃


●1968年、ビルマ共産党が国軍のモンコー駐屯地を攻撃


●1969年、ビルマ共産党がチーブエ、コーカン、ワ地域を支配


●1969年、ポンチャーシンはコーカン民族をまとめ、ビルマ共産党(コーカン)軍を設立、軍事手腕があったためコーカン民族のリーダーとなった。その後、政府と蜜月の関係となり、タイへの麻薬密輸、麻薬商人を保護したため大富豪となった。大富豪となったことに対し、ビルマ共産党の幹部と意見が合わなくなった。


●1984年ポンチャーシンはビルマ共産党から脱退。麻薬ビジネスを大々的に開始。


●1989年にビルマ共産党が崩壊後、武装勢力であるビルマ民族民主同盟(MNDAA)を創設


●1989年、キンニュン元首相と会談(当時は第1書記?)し、和平について話し合った。


●コーカン地域は1989年にミャンマー政府から特別区として指定される。


●2009年 国境警備隊への編入をめぐり国軍と不仲の関係に


●2009年8月8日 国軍が武器製造工場があるという疑いで捜索。8月27日から30日、戦闘が起き中国へ逃げ込む。


●2015年1月、中国のグローバル・タイムズのインタビューに答え、国軍に対して攻撃を仕掛けると宣言。
 (このインタビュー記事は読んでいたが、うっかり翻訳するのを忘れる)

●2015年2月9日から国軍との戦闘が勃発し現在も続く。

<コーカン側の主張>


コーカン軍はテインセイン大統領に対して「我々は必ずコーカン地域を取り戻す。大統領はビルマ族中心の政策と少数民族に対する差別的な扱いを止めて平等に扱うべきだ」という内容の書簡(2月16日付)を送付した。


書簡には「国軍は平和に関する約束を破り2009年8月8日、コーカン地域に対して(武器製造、麻薬生産など)因縁をつけ、攻撃を仕掛けてきたことは理解できない。このようなことが原因で国内で戦争が起きている。コーカン民族はミャンマー連邦に居住する少数民族として正式に認められている。しかし、大統領や国軍司令官は我々のことを《逃亡ゲリラ》と呼び捨てにしている。我々は自分の故郷を取り戻すことを絶対に諦めない」と書かれている。


ポンチャーシンに対して2009年、武器の製造と麻薬生産の疑いによりミャンマー警察が捜索したところ、警察に対して抵抗したためミャンマー国軍が介入した。その際、ポンチャーシンはミャンマー・中国国境へ逃亡した。


コーカン軍の広報担当者は「コーカン地域ではずっと前からケシ栽培が行われていた。しかし、我々の首領であるポンチャーシンが2002年に世界に対してケシの撲滅を宣言した。このことは国連が証人になってくれるだろう。当時、国連のWFP(世界食糧計画)やワールドビジョンなどの団体がコーカン地域で活動を行っていた。我々は麻薬撲滅を行っているグループだ。どうして麻薬を生産できるというのだろうか。国軍が我々を攻撃してきたのは、国境警備隊に編入することを我々が拒否したからだろう。しかし、彼らは麻薬をやっていることを理由にした」と語った。

<政府側の主張>


大統領府のゾーテー局長は「一部の少数民族武装勢力から平和的に解決するべきだという意見が出ているが、コーカン軍から大統領に送付された公開書簡に書かれていることは事実無根のことばかりだ。政府がビルマ族主義を掲げてビルマ族に有利になるように国を治めようとしていることはまったく事実と異なる。現在コーカン地域はコーカン民族によって統治している。それなのにポンチャーシンは武器を製造し、麻薬を生産、ビジネスにしている。捜査に入った治安部隊を殺害した。このようなならず者とは和平協議には応じない」と発言した。


<国軍側の主張>


コーカン軍は絶対に許さない。壊滅するまで徹底的に戦う。(ミンアウンライン国軍司令官)


という風な状況です。


問題なのは、今ポンチャーシンがどこにいるのかということです。


推測ですが、中国に潜んでいるのでしょう。


中国政府がポンチャーシンを逮捕し、ミャンマー政府への身柄引き渡しを行わない限り、この問題は解決しないでしょう。


中国の出方いかんでは、ミャンマーとの関係が一気に冷え込むこともあり得ます。


以下は大使館からのお知らせ(第2弾)


大使館もこの件については非常に注意していることがわかります。



大使館からのお知らせ


                                         平成27年2月20日
                                         在ミャンマー大使館


                   シャン州北部情勢について


1 2月19日付当地国営紙は,シャン州北部において国軍とコーカン族武装組織の戦闘が継続しており,シャン州北部チャウメー,ラショーからラウカイ地区へ向かう複数の主要交通路において,コーカン武装組織に加え,カチン独立軍(KIA),タアン/パラウン民族解放軍(TNLA)及びシャン州軍北(SSPP/SSA)が国軍部隊を攻撃し,国軍兵士の死傷者が増加している他,地元住民2名が死亡,6名が負傷していると報じています。


 記事の詳細は以下のとおりです。


(1)国軍とコーカン族武装組織との戦闘は継続している。


(2)2月17日夜,コーカン武装組織兵士約200名が,パーシンチョー村(ラウカイ・チンシュエホー間)近くの国軍拠点付近にて,4箇所から小火器及び重火器を使用し攻撃してきたため,国軍は応戦し,コーカン側は後退した。


(3)同日夜から18日午前にかけて,(コーカン武装組織は)ラウカイ地区内の国軍部隊に対し,遠方から重火器及び小火器により攻撃し,国軍部隊は応戦したところ,コーカン側は後退した。


(4)また,タンルイン河西岸地域からラウカイ地区への複数の主要交通路において,国軍部隊の軍事及び行政活動を阻害するため,地雷攻撃及び待伏せ攻撃を,コーカン武装組織に加え,KIA,TNLA及びSSA(ワンハイ)(シャン州軍北(SSPP/SSA)を指す)が協力して行っている。


(5)15日から18日にかえて,チャウメー・ティーボー間にてSSA(ワンハイ)が1回,ラショー・テインニー間でSSAが1回,テインニー・チューゴウ間でKIA及びTNLAが3回,クッカイ・マインシー間でKIAが2回,マインシー・ターパー間でKIAが1回,チンシュエホー・パーシンチョー間でコーカン族武装組織が4回,遠隔操作の地雷による攻撃及び待ち伏せ攻撃を行った。


(6)18日も,午後1時頃,チンシュエホーからラウカイへ補給のため移動していた国軍部隊に対し,コーカン武装組織がパーシンチョー付近にて,待ち伏せ攻撃を行ったため,国軍部隊は応戦,討伐している。


(7)15日から18日まで,国軍兵士3名が死亡,将校1名及び兵士26名が負傷した。また地元住民2名が死亡し,6名が負傷した。負傷者はラショー及びピンウールインの国軍病院に搬送され,治療を受けている。


(8)国軍はラウカイ地域において治安を回復し,平和を実現するまで,必要な力を使用し,戦闘,討伐していく。


2 ついては,邦人の皆様におかれては,シャン州コーカン自治地帯周辺への渡航・滞在は延期願います。また,同州の他地域への渡航・滞在を検討されている皆様には,最新情報の収集に努めていただくとともに,本件について不明な点などあれば,在ミャンマー日本大使館(01-549644~8)までご連絡願います。


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Posted by hnm on 水曜日, 2月 25, 2015. Filed under , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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