ミャンマー北東部に非常事態宣言,初の戒厳令







ミャンマー政府は17日、中国との国境に近い北東部シャン(Shan)州コーカン(Kokang)地区で国軍と武装勢力との戦闘が激化していることを受け、同地区に非常事態を宣言した。

同地区では今月9日から国軍と少数民族コーカン族の武装勢力の間で銃撃戦や空爆を伴う激しい戦闘が続いており、地元当局によると、被害は民間人にも及んでいる。数万人の市民が家を追われ、中国にも大量の難民が流入。中国当局も、紛争の拡大に対する警戒感を表明している。

 ミャンマー情報省は、コーカン地区での措置を説明する声明を発表し、「市民の命が危険にさらされる深刻な状況となっていることから、本日付けで非常事態を宣言する」と述べた。一方の中国政府は、ミャンマーから約3万人が中国南西部の雲南(Yunnan)省に流入したことを受け、国境警備を強化したことを明らかにした。

 民族的には漢族であるコーカン族と兵士らとの衝突は、コーカン族が住むラオカイ(Laukkai)を中心に発生。国境に近い同地域からは現在、人影が消えている。

 軍は、ラオカイ制圧を試み50人近くの兵士を殺害した武装勢力に対する反攻を開始。これまでにコーカン族と軍の双方で合わせて数十人が死亡したとみられているが、正確な死傷者数を把握するのは困難な状況となっている。

 今回の衝突は、ミャンマー政府が進めてきた多数の少数民族の武装勢力との間の停戦に向けた努力を損なうものとなった。

 紛争の再発のきっかけは明らかになっていないが、政府関係者はコーカン族の武装勢力の指導者が戦闘再開のきっかけを作ったとして非難するとともに、中国政府に対し、雲南省の地元当局関係者がコーカン族を支援することがないよう協力を要請している。

 アヘンの産地として知られるコーカン地区は、ミャンマー軍がコーカン族の武装勢力に対する大規模な攻撃を行い数万人が中国側に流出した2009年以降は、比較的穏やか状態が続いていた。

【翻訳編集】 AFPBB News

ミャンマーのテインセイン大統領は17日、東部シャン州のコーカン地区に戒厳令を発令した。今月に入り国軍と少数民族コーカン族武装組織との戦闘が激化しており、地区は国軍最高司令官の直接統治下に置かれた。戒厳令は2011年の民政移管以降、初めて。

 コーカン地区は中国との国境に接し、コーカン族は漢族として知られる。国営紙によると今月9日、武装組織が国軍の軍事拠点を攻撃し国軍兵士47人が死亡した。以降、国軍は空爆を実施するなどし、戦闘が続いている。

 武装組織は1989年に政府と停戦合意し、地区は事実上の自治区となった。しかし、国軍は09年に「麻薬や武器の製造・密輸」を理由に攻撃。武装組織のリーダーは中国領内に逃走していた。

 報道では、リーダーが組織を再構築して「帰還」したとみられ、最近の中国紙の取材に「失った領土を奪還する」とも語っていた。中国が組織を支援しているとの指摘がある。

毎日新聞



ミャンマー北東部に初の戒厳令、双方の戦闘員73人死亡 3万人超の避難民が中国に


ミャンマー北東部シャン州で国軍と少数民族武装勢力の武力衝突が激化し、ミャンマー政府は17日夜、同州コーカン地区に戒厳令を布告した。戒厳令布告は2011年の民政移管後初めて。政府系メディアは18日、9日からの戦闘で少なくとも国軍側47人、「ミャンマー民族民主同盟軍」(MNDAA)を名乗る武装勢力側26人の計73人がそれぞれ死亡したと伝えた。

 ロイター通信によると、コーカン地区周辺は治安が悪化し、17日には避難住民らを乗せた赤十字の車両8台が中国との国境付近で銃撃され、2人が負傷した。政府は17日、同地区に90日間の非常事態も宣言。国軍は襲撃したのはMNDAAだと主張し、米国務省は戦闘激化と赤十字車両襲撃に「深い懸念」を表明した。

 MNDAAは、「ビルマ共産党」の下部組織が前身で、1989年に分裂するまで中国の支援を受けて国軍へのゲリラ戦を展開。今回は、中国系で漢族の流れをくむコーカン族の自治権強化を訴え、9日に国軍への攻撃を再開したという。

 戦闘を避けようと住民ら延べ3万人以上が中国の雲南省に避難したとされ、中国側も避難民流入の増大に懸念を強めている。

【シンガポール=吉村英輝】

産経新聞






Posted by hnm on 水曜日, 2月 18, 2015. Filed under , , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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