「憲法改正」の可能性はあるか? 日本人弁護士が見たミャンマー選挙



去る2015年11月8日に、ミャンマーで2011年の民政移管後初めてとなる総選挙が実施された。選挙結果の最終的な公表には数週間を要すると言われているが、11月14日時点で、アウン・サン・スー・チー氏率いる野党国民民主連盟(NLD)が、過半数の議席を獲得した旨が選挙管理委員会より発表されている。現政権与党の連邦団結発展党(USDP)も、事実上の敗北宣言を行っている。この選挙結果が公正な選挙の結果として受け入れられる限り、国会議員の過半数はNLDが握ることとなり、USDPからNLDへの政権交代は必至である。では、この選挙により、ミャンマーは完全に民主化されたと言って良いのだろうか。
ヤンゴンでの日本人弁護士
 本題に入る前に、日本人弁護士である筆者がなぜヤンゴンに来て、また何をしているのか、少し触れてみたい。筆者は、現在、ヤンゴン市内の外資系法律事務所にて外国弁護士として執務している。ヤンゴンに来る以前は、米国ロサンゼルスのロースクールに留学し、知的財産分野などを中心とした米国法を学んでいた。日本人弁護士が留学する際、留学後に引き続き海外で研鑽を積むというのは、一般的なキャリアパスである。

 筆者も留学後に海外で一定期間執務経験を積むつもりでいたが、せっかくならチャレンジングな経験を積みたいと考えていた。成熟した市場で洗練された知識や経験を身に付けるのも良いが、どうもそれは筆者の性に合わない。手探りで道を探りながら開拓していく方が、筆者には合っているような気がした。そんな中、友人からミャンマーでの研修を紹介された。

 話を聞くまでは、アウン・サン・スー・チー氏や過去の軍事政権程度の知識しかなかったのだが、調べてみると、民政移管が2011年にあったばかりで、法整備も投資もまだまだこれからだという。しかも治安は良く、親日的であるという。調べれば調べるほど、自分に合った素晴らしい研修機会だと思うようになった。こうしてロースクールの修了後に、このヤンゴンにやってきたのである。

 ヤンゴンでは、日本語が話せる外国弁護士として、日本企業の窓口を担当し、また実際の業務にも参加している。2011年民政移管後、ミャンマーへの日本企業からの投資・新規ビジネスは、大幅に増加している。筆者の担当する業務の約半数は、こうしたミャンマーへの新規投資・ビジネスの相談や支援である。一方、2011年に民政移管され、既に相当数の日本企業がミャンマーへの進出を果たしている。当然、ミャンマー進出後に様々な法律問題が生じることがある。日本や米国での経験等を活かして、ミャンマー進出後の日系企業に対して、各種契約業務や知的財産、金融法務、労働法務等の法律業務を提供している。

 なお、筆者はミャンマー語は話せないが、社内の公用語は英語であり、社内でのコミュニケーションに困ることはない。ミャンマー人だけでなく、中国人、台湾人、シンガポール人、フィリピン人、マレーシア人、それにアメリカ人の弁護士がいることもあって、国際色豊かな環境で執務している。

2011年民政移管とは?
 冒頭でも述べたが、今回の選挙は2011年の民政移管後初めて行われた選挙である。では、2011年の民政移管とはいったいどのようなものであったのだろうか。

 ミャンマーでは、1962年にクーデターによって軍事政権が樹立され、憲法と議会が廃止された結果、長い軍事政権自体が続くこととなる。以前はビルマとして知られていた国だが、1989年に、軍事政権が英語での国名をミャンマーに改めた。現在では、多くの国でミャンマーと呼称されているようだが、未だにビルマと呼称する国やメディアもあると聞く。

 1990年にも総選挙が実施され、アウン・サン・スー・チー氏率いるNLDが80%超の議席を獲得する大勝を収めたものの、当時の軍事政権はこの選挙結果を無視し、政権移譲を拒絶した。こうした軍事政権に対する強い非難から、ミャンマーには、米国をはじめとする先進諸国からの厳しい制裁が続けられ、結果として、ミャンマーの経済発展は停滞することとなる。2008年には、経済制裁緩和を図るため、軍事政権は長らく存在していなかったミャンマー憲法を制定し、近時の選挙を約束するにいたった。こうして2010年に総選挙が実施され、当該選挙結果に基づき、2011年に民政移管がなされたのである。

 民政移管はされたものの、軍部主導で行われた選挙に抗議し、2010年選挙にNLDは参加しなかった。その結果、有力な対抗勢力を持たなかったUSDPが、2010年選挙で圧勝した。USDPは、軍事政権が作り上げた政党であり、退役軍人や軍の関係者等で構成されている。2011年民政移管時に指名されたテイン・セイン大統領も、長期にわたって軍に所属しており、選挙直前に軍を退役している。
2015年総選挙の模様
 今回の総選挙は、上記民政移管後初めて行われた総選挙である。ミャンマーでの選挙活動も日本と同じように、選挙カーが利用されている。日本と少し違うのは、選挙カーが陽気な音楽や歌を流しながら遊説しており、さながらお祭り騒ぎのようである点である。

 日本では、候補者の名前を連呼したり、手を振りながら選挙カーを走らせているが、歌や音楽を流しているという話は聞いたことがない。街頭演説や辻立ちも日本のように行っているようである。ヤンゴンでスーツを着ているのはほぼ外国人しかおらず、筆者が外国人であることは一目で分かったはずだが、筆者も選挙用のチラシを配られたことがある。もちろん、外国人に選挙権はない。

 ミャンマーでの物流は未発達で、郵便事情もかなり悪い。通常の郵便を使う以上、まともに到着することは期待しないほうが良い。筆者も、家族が日本から送った郵便はどこかで消えてしまい、2カ月たった今でも到着しない。おそらく到着することはないだろう。そのような郵便事情であるため、投票用紙が郵送されることはなく、郵便での投票の告知もない。テレビや掲示などで確認できる選挙権者名簿に載った時点で、地区の管理事務所に政府から発行されているIDを持って選挙前に投票用紙を受け取る。当日は、そのIDと投票用紙を持って投票所に行って、投票する。

 郵便での告知がない以上、各人の投票所がどこかという郵便での告知もない。テレビ放送や街中を走る車の選挙告知を聞いて、各人の投票所がどこかを確認する。投票所は、日本のように、多くの場合は学校などが利用されており、その他宗教施設なども利用されていたようである。なお、ミャンマーでは、八曜に基づく占いが好まれるが、それが今回の選挙に与えた影響は特に無いようである。八曜とは、水曜日を午前と午後で分け、日曜日から土曜日までの七日間を八つに分類して運勢等を占うというものである。ミャンマー人の多くは、生まれた日の八曜にあわせて、名前の一部に八曜を表す名を持っている。

政権交代は来年の3月
 冒頭でも述べたとおり、選挙管理委員会は、今回の選挙でアウン・サン・スー・チー氏率いるNLDが総議席数の過半数を獲得した旨を既に発表している。また、日本のように正確な数字を伝えるものではないようだが、ミャンマーでも選挙速報のような報道があったようである。ただ、誤報や虚報も多く流れていたようで、Facebook上では、ミャンマー人の同僚や友人たちが誤報や虚報に対して注意喚起を促す書き込みが、多数見られた。

 ミャンマー在住の外国人の間では、選挙後に暴動や混乱などが起こる可能性が懸念されたが、現在のところ、そのような混乱は特に起こっていない。しかし、まだ選挙結果の正式な最終発表はなされていないし、また政権交代も来年3月であり、注視は必要だろう。ミャンマーは、少数民族問題や宗教対立などを抱える国家である。あちらを立てればこちらが立たずであり、選挙前の遊説などでは、アウン・サン・スー・チー氏も、苦労していたようである。

 USDPは、表向きには民族や宗教の融和を説くが、実質的には仏教徒のビルマ族を優遇してきた。アウン・サン・スー・チー氏率いるNLDは少数民族や非仏教徒に配慮した発言を行ってきたが、それが過激派のビルマ族や仏教徒などからの批判の的とされてきた。そこで、そうした批判を考慮して、曖昧な発言を行うことで、今度は逆に少数民族から批判されることとなる。それでも蓋を開けてみればNLDの大勝となったわけであり、民主的政権を望む声がいかに強かったかが分かる。

 NLDが過半数を獲得し、現政権も平和的な政権交代を示唆しており、政権交代は必至と考えられる。後に述べるとおり、アウン・サン・スー・チー氏自身は憲法上の制限によって大統領にはなれないが、それでも同氏の影響下にある人物が大統領になるはずである。ミャンマー人の友人や同僚に話を聞いてみたが、多くが、政権交代後の生活の改善に大きな期待を抱いているようである。外国人に聞いてみても、みな好意的に捉えているが、外国人の方が冷静に状況を捉えているようだ。

 ミャンマー人と話をすると、時々、民主的な政党が政権をとるから、生活や経済が良くなると考えているように見える。しかし、実際に彼らの生活が改善するかどうかは、政権交代後の政府の具体的な政策によるわけであり、民主化と生活の向上には論理的繋がりがあるわけではない。それでも、長期にわたって存在しなかった民主的政権がこの国に誕生するということは、今後の発展を予感させる大きな一歩といえるだろう。しかし、今回の総選挙とそれによる政権交代だけで、ミャンマーが完全に民主化されたと考えるのは早計である。その鍵は、2008年憲法が握っている。

軍を優遇する2008年憲法
 2008年憲法には、国政への軍の介入を認める様々な規定が存在している。代表的なものを幾つか挙げてみたい。まず第一に、軍が国民の政治的リーダーシップを司る役割に参加できるようにすることが、連邦制度の目的の一つであると明記されている。第二に、国会議員には、軍の最高司令官が指名した者が一定数含まれることが明記されている。ミャンマーの国会は、地域・州を代表する上院(Amyotha Hluttaw)224名と街(Township)と人口に基づき選出される下院(Pyithu Hluttaw)440名で構成されている。

 このうち、それぞれの4分の1に当たる上院56名及び下院110名は、軍の最高司令官による指名により選出される。したがって、今回の選挙において議席が争われたのも、この166名を除く498名である(正確には7選挙区での選挙が見送られたため491名)。後述するとおり、大統領の指名は、全議員の過半数によってなされる。軍による基盤を持たない政党は、選挙により66%を超える議員を確保しない限り、全議員の過半数を獲得することはできない。

 第三に、軍の最高司令官には、ミャンマーに国家レベルでの危機や混乱が生じたような場合、国の統治権を引き継ぎ、これを行使できる権利が与えられている。
大統領選出
 大統領及び副大統領は、大統領選挙人団により選任される。大統領選挙人団は、両院の議員によって構成されるが、これが3つのグループに分けられる。1つ目は上院議員のうち選挙によって選出された者、2つ目は下院議員のうち選挙によって選出された者、そして3つ目は軍の最高司令官によって選出された者である。各グループはそれぞれ1人ずつの副大統領を選任し、さらに全議員が当該3人の副大統領のいずれかに投票する形で、1人の大統領を選任する。

 ここで気がつくことは、軍は少なくとも1人の副大統領を自動的に選任することができるということである。ここにも軍の政治への関与が窺える。なお、大統領及び副大統領の選任資格の中に、本人、配偶者又は子供が外国籍であってはならない旨の定めが置かれている。アウン・サン・スー・チー氏の夫であった故マイケル・アリス氏はイギリス国籍であり、彼女の子供たちもイギリス国籍である。そのため、彼女は大統領及び副大統領になる資格を有しない。

 余談となるが、ミャンマーにはファミリーネーム/姓が存在しない。したがって、ミャンマー人の名前は、その全てがファーストネーム/名である。伝統的には2音節までの名前が多かったが、近時は3音節や4音節の名前も増えている。例えば、アウン・サン・スー・チー氏は、4音節の名前である(Aung San Suu Kyi)(ミャンマーでは、Kyは日本語とは異なり「チ」と発音する。したがって、東京(Tokyo)は「トーキョー」ではなく「トーチョー」となる。

 筆者は、ヤンゴンに住み始めたころ、タクシーに乗って日本から来たと答えた際、何度か「トーチョー、トーチョー」と話しかけられ、ミャンマーでは東京都庁が有名な建物なのかと勘違いしたことがある。)。アウン・サン・スー・チー氏は、かつて建国の父と呼ばれたアウン・サン将軍の長女であるが、アウン・サンが彼女の姓という訳でない。あくまで、父と同じ名前を持つということに過ぎない。

憲法改正の可能性
 完全な民主化を、軍の関与が国政から完全に排除された状態だと考えれば、選挙により政権交代がなされても、実はまだ完全な民主化には大きな隔たりがある。そこで、アウン・サン・スー・チー氏が強く求めてきたのが憲法改正である。近時は、日本においても議論されることの多い憲法改正だが、日本では、総議員の3分の2以上の賛成と日本国民の過半数の承認が必要とされる。

 ここミャンマーでは、憲法改正には、原則として全議員の4分の3を超える賛成が必要とされている。ここでポイントなのは、4分の3以上ではなく、4分の3を超える賛成が必要な点である。4分の3以上であれば4分の3が含まれるが、4分の3を超えるということは、4分の3は含まれない。先にも述べたが、ミャンマーの両院は、その4分の1が軍の最高司令官によって選任され、残りの4分の3が選挙によって選出される。

 したがって、仮に選挙によって選出された全議員が改憲に対して賛成しても、改憲に必要とされる議決要件には届かないのである。改憲を行うためには、軍の最高司令官によって選出された議員のうち少なくとも1人以上が、改憲賛成派に回らなければいけないが、改憲が軍の政治関与を奪うものである限り、それが極めて難しいことは容易に想像がつくであろう。

 大統領の任期は5年間である。ミャンマーが、完全な民主化を果たせるかは、これからの5年間にかかっているといえる。NLDが政権与党となり、ミャンマー経済が後退してしまっては、軍部派議員が改憲へと踏み切る可能性はゼロに等しい。アウン・サン・スー・チー氏は、今後はミャンマーを導く具体的な政策を示していかなければならない。これまで民主化の旗印として、ある種のシンボル化していたアウン・サン・スー・チー氏が、「政治家」としての手腕を有しているかどうかが、ミャンマー民主化の未来を決めるといっても過言ではない。
鈴木健文 (弁護士)



Posted by hnm on 木曜日, 11月 26, 2015. Filed under , , , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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