電柱倒壊で毎年100人の感電死を出すミャンマー 第12回 組織を教え、生命を守る



現場OJTでは朝と昼、作業前に必ず整列して点呼や手順の確認が行われる(筆者撮影、以下特記のないものは同様)

■経済成長の影で

 人口の急増と都市の急拡大に伴い、日々、電力需要が高まっているミャンマーの最大都市ヤンゴン。

 だが、市内の電力事情は決して良くない。昨年11月6日、満月のお祭りを祝っていたこの街に熱帯低気圧が接近。レーダン交差点の北側では、突風に煽られた電柱が約50本、根こそぎ倒され、市内は約6時間にわたり停電した。

 施工不良や配電設備の老朽化による痛ましい事故も多い。ヤンゴン管区警察の発表によると、市内のマーケット付近では、絶縁体が巻かれていない裸電線が切れて雨に濡れた地面に落下し、路上の露店商や周囲の人が感電死するケースが年に100件以上発生しているという。

 経済活動や産業の振興の前提となる、電力。ヤンゴン~マンダレーを結ぶ鉄道の近代化に向けた詳細設計調査で信号の現地調査を行った際も、日本コンサルタンツ(JIC)に所属する電力専門家の和木浩さんが「周囲の集落をはじめ地域全体が電化されていない中で、遠方の発電所から中継所を経由して送電し信号を作動させるのはロスが大きい」と頭を抱えていた(第10回参照)。

 電力不足と劣悪な送配電の改善がこの国の今後の発展にとって不可欠であるのは言うまでもない。

こうした状況を受け、日本はこれまで電力分野でもさまざまな協力を行ってきた。

 古くは、戦後賠償の第1号案件として両国関係の金字塔ともなっているバルーチャン水力発電所の整備を日本工営が手掛けたのをはじめ、最近ではニュージェックと関西電力が「電力開発計画プログラム形成準備調査」を通じて電力マスタープランの策定を支援したり、中部電力がヤンゴン市配電網の整備について調査を行ったりしている。

 さらに、中部電力は現在、日本工営と共に地方主要都市における配電網整備計画の策定調査を実施中だ。しかし、電力政策に必要なのは発電量の拡大だけではない。冒頭のような痛ましい事故を1件でも減らすには、正しい知識を持った技術者や技能者の育成が欠かせない。

 この国の明日を担う人材を育てるべく奮闘する人々に出会った。

■三位一体の教育

 スーレーパゴダ寺院が黄金色に輝くダウンタウンから北へ1時間ほど車を走らせたインセイン区にその学校はある。

 「サクラ・インセイン テクニカルコース」。緑濃い木々に囲まれ、赤レンガの壁にアーチ状の白い窓枠が印象的な「ミャンマーAGTI協会」の建物を見ながら敷地を奥へ進むと左手に表れる平屋建てのクリーム色の建物が、それだ。演習用の灰色の電柱がにょきにょきと空に伸びているのが目を引く。

 ミャンマーAGTI協会は、工学系の専門学校であるガバメント・テクニカル・インスティテュート(GTI)を長年運営してきた組織である。

 かつては全国10カ所でGTIを展開していたこともあるが、1988年に発生した民主化運動を機に学生を警戒する軍事政権が高等教育機関を次々と閉鎖する中、GTIもすべて閉鎖を余儀なくされた。

 以来、産業界で役立つ知識と技能を備えた職業教育の場の再開を切望してきた同協会にとって、サクラ・インセインは、30年越しの夢がようやく形になった学校なのだ。





意見を言ったり質問したりしながら自由な雰囲気で授業が行われる(写真提供:きんでん)

この夢の実現に力を貸したのが、関西電力グループのきんでんだ。

 同社は、AGTI協会が技能教育の提携先を探しているのを知り、2013年3月、同協会および住友商事との間で教育施設の開講に向け合意協定を締結。校舎の確保・改修や学生の募集などを急ピッチで進め、翌14年7月に第一期生40人を迎えて開講にこぎつけた。

 きんでんが海外で人材育成に取り組むのは初めてではない。同社は1993年、雇用対策を兼ねた社会貢献の一環として、ベトナム・ホーチミンの職業訓練学校内に電気技術者の育成コースを設置。閉講するまでの10年間で約200人の技術者を輩出した。

 うち2割は同社の現地子会社に就職し、現在、中堅人材として活躍しているが、卒業後の進路には特段、制約をつけていなかったため、地元企業や多国籍企業などで活躍している者も多い。

 「ベトナム社会のあちこちに“きんでんファミリー”がいるというのが心強い」と西田達雄顧問は胸を張る。

 このベトナムの“成功体験”を後ろ盾にミャンマーでも人づくり事業に投資することを検討し始めた同社にとって、この地の高等教育機関がことごとく閉鎖されていたのは想定外の事態であっただけに、AGTI協会との出会いは、提携先の発掘に苦慮していた同社にとっても願ってもないものだった。

 こうしてスタートしたサクラ・インセインでは、体力づくりから座学、実技演習などが凝縮された8カ月間のカリキュラムが組まれ、送配電線の設置工事と屋内電気工事の技術指導が行われている。

 やり方は、徹底した“きんでん流”。

 指導にあたるミャンマー人技術者6人は、開講に先立ち、同社の全寮制の技術訓練施設「きんでん学園」(兵庫県西宮市)に半年間派遣され、「心」「技」「体」三位一体の全人教育を通じて「One for All(まず仲間のことを考える)」というチームワーク精神を叩き込まれた。

 その先にあるのは安全の確保だ。「高圧電流が流れている電力工事の現場では、誰かのミスが別の誰かの命取りになるからこそ、“チーム”や“組織”を理解している人材が必要」だと国際事業本部の西康二営業部長は力を込める。




サクラ・インセインを率いるウィン校長(左)と琴崎さん

もっとも、「最初のうちは戸惑いを隠せない様子の学生も少なからずいた」とネウィン校長が振り返る通り、点呼やランニングを欠かさず規律を重視する軍隊のような厳しい指導にはじめからすべての生徒がついてこられたわけではない。

 だが、「座学を終え、暑い中で重機を操作したり、電柱に上ったりする実習が始まる頃には、生徒たち自身が体力と精神力を鍛える必要性を自覚し、訓練にも身が入ってきた」と続けるネウィン校長の表情からは、手応えと自信が確かに伝わってくる。

 そして、その横顔を見ながら、「こちらが感心するほど熱心で生徒思い。誠実で実直な人柄」だと微笑む国際事業本部技術部の琴崎馨次長のまなざしにもまた、校長への信頼感が溢れている。

■「現場は生き物」

 午後1時。ヤンゴン港に面した大通りは、乗用車やコンテナや建設資材を運ぶ大型トラックが連なり、活気に満ちていた。建設ラッシュ真っ只中のこの街では、市内のいたるところで建設工事を見掛ける。

 特にこの辺りは、通り沿いに建設中のビルが並び、レンガを肩にかついだ男たちが土ぼこりの中を動き回ったりしており雑然としている。数カ月後には、今、需要が右肩上がりのコンドミニアムがずらりと建ち並ぶのだろう。

 そんなビルの1つで、サクラ・インセインの第1期生たちが現場OJT訓練を行っている。2階部分に上がると、ちょうど作業服にヘルメット姿の学生たちが4人ずつ5列に並んで昼礼を始めるところだった。

 作業を開始する前には、朝と昼、必ずこうして集まり、点呼を受けたり、作業の手順を復唱したり、腰のベルトから下げた工具袋の中身を確認するという。金属音やモーターのうなり音、そして通りを走る車のクラクションが入り混じって騒然とした雰囲気の中で、この一角だけ空気がピンと張り詰めている。

 昼礼の後、前出の琴崎さんと人材開発部施工技術支援チームの工藤直記チームリーダーがビルを案内してくれた。

持ち場に分かれたサクラ・インセイン生たちが、壁の配線と図面を真剣な面持ちで見比べている様子を眺めながら、「日本には電気工事士という資格制度があり、知識や技術の水準を客観的に査定できるが、この国では経験がすべて。大学を卒業し“エンジニア”と名乗っている人たちも、技術を体系的に学んだことはなく、見よう見まねで断片的に知識を習得しているのが実態」と話す工藤さん。

 「基本的なことは学校で学べますが、現場は生き物で状況は毎日変わります。だからこそ、危険の有無をその場で判断し行動できる“感性”をこのOJTで学んでほしい」。

■最高峰“後”の挑戦

 実は、工藤さんは技能五輪の国際大会で優勝した輝かしい経歴の持ち主だ。きんでん学園の指導員を務め、200人以上の教え子を育て上げた上、2007年にはその中の1人を自分と同様に世界大会で優勝させた「人づくりのプロ」でもある。

 だが、世界最高峰の“高み”を極めた技術者にとって、“ないないづくし”の開発途上国は物足りなくないのだろうか――。そんな筆者の疑問を、工藤さんは爽やかな笑顔できっぱり否定した。

 「日本では規格品のパーツを組み合わせれば何とかなりますが、こちらではそもそもパーツがありません。工夫と技で何とかするしかない世界は、まさに“モノづくりの原点”。物足りないどころか、日々、日本にいる時以上に自分が試されているのを感じます」。

 ひどい状況が多いのは確かだが、“だからできない”ではなく、“これをどうしていくか”と考えないと、ここに来た意味がない、と工藤さんは考えている。

 一昨年、黄綬褒章を受章してからは、「日本人」としての自分も一層意識するようになった。

 「被っているのはきんでんのマークが入ったヘルメットですが、背負っているのは日の丸です」と言い切る工藤さんをはじめ、関係者の情熱が惜しみなく注がれているサクラ・インセインの挑戦には、現地でも注目が集まっており、昨年秋にはヤンゴン市配電局(YESB)のスタッフも見学に訪れた。

 1期生は3月末に卒業し、新たなスタートを切る。受講生の1人、カンテット・ウーさんは、「暑い中での体力づくりは大変だったが、安全管理の重要さを学んだ。卒業後は父が経営する電器店を手伝いたい」と張り切っている。

 そんな彼らを励ますように、卒業へのカウントダウンが始まった1月末、正門脇のマンゴーの木が花を咲かせ、小さな実を付けた。日に日に大きくなるその実を眺めつつ、ネウィン校長や琴崎さんたちは、2期生を迎える準備を始めている。

 日本企業の誇りと矜持をかけた指導の下で育ちつつあるミャンマー人技術者たち。マンゴーが熟れる季節は、もうすぐだ。

 (つづく)

 本記事は『国際開発ジャーナル』(国際開発ジャーナル社発行)のコンテンツを転載したものです。

JBpress

Posted by hnm on 木曜日, 9月 10, 2015. Filed under , , , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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