ミャンマー与党トップを解任



ミャンマーの与党、連邦団結発展党(USDP)は13日、首都ネピドーで記者会見を開き、シュエ・マンUSDP議長(下院議長)を党役職から解任し、テー・ウーUSDP副議長を議長に昇格させると発表した。シュエ・マン氏は下院議長の職にはとどまるという。
 ミャンマータイムズなどの報道によると、USDPは前日の12日、「テインセイン大統領は11月の総選挙に出馬しない」と発表した。しかしその後、治安部隊がUSDP本部を占拠して状況が一変。13日朝に党幹部の会合を開いて、シュエ・マン議長の解任を決めた。








世界に誇れる日本の国柄とその心

2007.4.2

<目次>
(1)日本の国柄と皇室の存在 (2)仁と「おほみたら」~神武天皇の詔
(3)「わ」の国の「和」の精神 (4)五箇条のご誓文と教育勅語
第2章 日本精神の神髄
(1)戦前は、本来の日本精神からはずれて大敗 (2)戦後、日本人が日本精神を失ってきた理由
第5章 日本精神を取り戻し、日本を再建するには 
(1)日本再生のための三つの提言
(2)教育の改革が第一の課題
(3)憲法の改正が根本的課題

説明: ber117

はじめに


世界に誇れる日本の国柄とその心について、日本の国柄の特徴は何か、日本の国に伝わってきた心とはどういうものか、それがなぜ今日、失われてきたのか、それを取り戻すにはどうすればよいか、について述べたい。

説明: ber117

第1章 日本の国柄とその心とは

 
(1)日本の国柄と皇室の存在
 日本といえば、昔はフジヤマ・ゲイシャといわれた。最近はドラえもん、ポケモンが日本のイメージになったりしている。しかし、日本の伝統や文化をよく知る外国の有識者は、日本の国のほかの国にない特徴として、皇室の存在をよく挙げる。  現在の天皇は第125代。古代から今日まで一系の皇室がずっと続いている。こういう国は、他にない。イギリス、デンマーク等の王室は、せいぜい数百年。シナは、古代から王朝が何度も変わり、いろいろな民族が入って支配している。
 国柄を具体的に表すものを憲法という。英語では、国柄と憲法を一つの言葉で表す。constitution がそれだ。  戦後の憲法は、主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三原則だと学校では教えているが、本当にそうか。憲法には、三原則の前に、日本の特徴を表わしているものがある。本文を読むと、第1章は、天皇と題されている。第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると書かれている。そこに、国柄が表されている。
 わが国は、皇室が国の中心に存在し、皇室を中心に国民が団結して、歴史が織り成されてきた。これが日本の国柄の最大の特徴である。この国柄の特徴を学ぶことなくしては、日本の歴史・伝統・文化を深く理解することはできない。  戦後の学校教育は、この点を教えていない。自分の国のことを知らない青少年を日々作り出している。海外に出て、日本のことを聞かれて、答えられず、自分が自分の国のことを教わっていないことに気づく若者が多い。教育が間違っている。

(2)仁と「おほみたら」~神武天皇の詔

 では、こうした国柄を持つ日本に伝わってきた心とは、どういうものか。  昨年、皇室に実に40年ぶりに、男のお子様が誕生された。悠仁様と名付けられた。お名前には、「仁」という文字が使われている。明治天皇、大正天皇、昭和天皇、今上陛下、皇太子様、秋篠宮様等、みな「仁」がお名前についている。皇族男子は、お名前にみな「仁」という文字をつけている。これは平安時代からの伝統だという。このことは、皇室が「仁」ということを非常に大切にされていることを表わしている。「仁」は、いつくしみ、思いやりを意味する言葉である。
 「仁」のルーツは、はるか歴史をさかのぼる。  小学生に最初の天皇は誰かと聞くと、推古天皇、仁徳天皇などと答える。初代は、神武天皇だが、教科書に載っていない。だから子どもたちは、最初の天皇の名を知らない。  神武天皇は、一説によると2667年前に、奈良県橿原(かしはら)の地で、最初の天皇の位についたとされる。そのとき、「橿原建都の詔」を発したとされる。その詔(みことのり=天皇のお言葉)の中に、国民を意味する言葉として「民」「元元」という文字が出てくる。これらの文字は「おおみたから」と読む。宝物だというのである。神武天皇は、国民を宝物のように大切に考えた。ここに「仁」のルーツがある。
 「橿原建都の詔」には、次のような部分がある。  「六合(くにのうち)を兼()ねて以()って都(みやこ)を開(ひら)き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と為()むと、亦(また)()からずや」  これは、「国中をひとつにして都をひらき、天の下を覆ってひとつの家とすることは、また良いことではないか」といった意味である。  国中が一つの家族のように暮らせる国、世界中が一つの家族のように暮らせる世界をつくりたいーーそれが、日本建国の理想である。この建国の理想を一言で表す言葉が、「八紘一宇」である。八紘一宇は、日本がアジアを侵略するスローガンのように誤解されているが、東京裁判では、なんら侵略的な意図のない言葉だと確認された。英語ではuniversal brotherhoodと訳される。人類みな兄弟という意味になる。
 他の国では、国王・皇帝は、自分の権力を求め、国を支配し、国民から搾取する。それゆえ、それに恨みを抱いたものが、政権を奪い、新たな王朝を立てる。それを繰り返してきた。  それに対し、日本では、建国の理想のもとに、天皇が国民をわが子のようにいつくしみ、国民に思いやりを持ってまつりごとを行う。国民はこうした天皇の御心に応え、天皇をわが親のようにしたい、天皇を中心として国民が家族のように結び合って生活してきた。だから、神話の時代から21世紀の今日まで、一系の皇室が125代も続いている。  こうしたわが国では、各家庭にあっては、親は子供愛情持って育て、子どもは、親が年を取って弱ってもどこまでも大切にする。夫婦は、男女の特長を認め合い、欠点を補い合って、和を心がける。また祖先を大切に祀り、子孫の幸福・繁栄を願う。そうした家庭が寄り集まって、一つの国をなしている。社会にあっては、人々が助け合い、共存共栄を心がける。海外の文化も積極的に取り入れて、固有のものと調和させてしまう。その国全体の要に皇室があり、国民は皇室を中心として団結して生活する。  これが、日本のもともとの姿であり、これこそ、日本人が世界に誇ることのできる国柄であり、その心である。

(3)「わ」の国の「和」の精神
 わが国の国名は、日本(にっぽん)という。「日(ひ)の本(もと)」の国、つまり太陽のもとにある国、太陽が昇る国を意味する。それを旗に表したのが、「日の丸」である。国名と国旗が深く結びついている。  もっと古くは、国名を「わ」と言ったらしい。「わ」は、「輪・環」を意味する言葉だ。シナ人に、お前の国の名はなんと言う、ときかれて、「わ」と言うと答えたのだろう。それでシナ人が、「倭」の文字を当てた。「倭」は、背が曲がってたけの低い小人をいう。日本人の先祖は、この字を嫌って、「和」の字を当てた。また国の中心、都を表わす「やまと」という地名に「大和」の文字を当てた。「大和」を「やまと」と読むのは、まったくの当て字である。日本人の祖先は、それほど「わ=和」を重んじたのだろう。
 こうした和を重んじる考え方を理念として表現したのが、聖徳太子である。約1400年前、推古12年(604)に太子は、十七条憲法を制定した。太子は、その中で「和の精神」を説いた。また同時に、わが国のあり方、国柄を表現した。  憲法第一条は、「和をもつて貴(とうと)しとなし…」という言葉で始まる。「和をもつて貴(とうと)しとなし、忤(さから)ことなきを宗とせよ。(略)上(かみ)(やわら)ぎ、下(しも)(むつ)びて、事(こと)を論(ろん)ずるに諧(かな)うときは、すなわち事()()(おのず)ら通(つう)ず、何事(なにごと)か成()らざらん。」とある。「お互いの心が和らいで協力するのが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。(略)人々が上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成し遂げられないことはない」というような意味である。  太子は、「和」という言葉で、単なる妥協や融和を説いているのではない。「人々が調和すれば、道理にかない、どんなことでも成し遂げられる」という積極的な理念を説いている。  また、太子は続く条文において、「和」を実現するための心構えを説いている。すなわち、第十条では人への恨みや怒りを戒め、第十四条では人への嫉妬を禁じている。第十五条では「私(わたくし)」を超えて「公(おおやけ)」に尽くすように説いている。そして、最後の第十七条には、「独り断ずからず。必ず衆とともに宜しく論ずべし」と記されている。「重大な事柄は一人で決定してはならない。必ず多くの人々とともに議論すべきである」というのである。
 聖徳太子の「和」の精神は、一般に調和が大切という程度の意味と思っている人が多い。しかし、聖徳太子が説いたのは、「天皇を中心とした和の精神」である。ここをしっかり把握したい。  第三条に「詔を承りては必ず謹(つつし)め」とある。天皇からお言葉を頂いたら、謹んで受けよというのである。太子は、豪族・官僚たちに天皇の言葉に従うように記している。  第十二条には、「国に二君なく、民に両主(ふたりのあるじ)なし。率土(くにのうち)の兆民(おほみたから)、王(きみ)を以って主(あるじ)となす」とある。ここにも「おほみたから」が出てくる。国に二君はなく民に二人の君主はいない。国中の民は、天皇を君主とする。国民統合の中心は、天皇であることを明記している。  第十五条には「私に背きて、公に向(おもむ)くは、是臣(やっこ)が道なり」とある。私の利益を超えて公のために向かって進むのが、臣下たる者の道であると説いている。  ここに日本における天皇と国民のあり方が示された。さきほど国柄を具体的に表すものが憲法だと言ったが、十七条憲法は、日本の国柄を表現している。
 こうして太子は、天皇を中心として国民が統合された国のあり方を、理想として打ち出した。神武天皇の理想を受け継いだものといえる。  太子の理想は、大化の改新や律令制において追求された。その後、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉など有力者がいろいろ出たが、誰も皇室をおかして成り代わろうとする者はなく、皇室は一貫して存続してきた。  19世紀半ば過ぎ、幕末に、欧米列強が押し寄せ、民族存亡の危機に直面した。このとき全国各地で草莽の志士達が立ち上がった。吉田松陰、西郷隆盛、坂本竜馬らだ。彼らは、天皇を中心とした新しい国づくりをめざした。 

(4)五箇条のご誓文と教育勅語
 
明治維新にあたり、明治天皇は、五箇条のご誓文を発せられた。ご誓文は、近代国家日本の出発点において、国是つまり国家の根本方針を示したものである。  第一条には「広く会議を興し、万機公論に決すべし」、第二条には「上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸(けいりん)を行ふべし」とある。天皇を中心に仰ぐ新しい国を作ったところ、天皇は、国民に対して、広く会議を行なって、何でも話し合って決めたい、身分の上下に関係なく、みな心を一つにして国づくりを進めたいと言っている。ここにも聖徳太子の「和の精神」が表われている。また、神武天皇の国民を「おほみたから」と思う心や「八紘一宇」の理想が生きていることがわかるだろう。
 「五箇条の御誓文」というと、五箇条だけと思っている人が多い。教科書には、五箇条しか載っていない。しかし、実は五箇条の下に、重要な言葉が続く。明治天皇の誓いの言葉である。その中に「万民保全の道」という言葉がある。国民すべての安寧を実現する道ということである。天皇は、国民すべての安寧を実現することを、天地神明に誓う。そして、国民には、協力・努力して欲しいと呼びかけている。それが、五箇条のご誓文である。  次に、明治23年に、明治天皇は、教育勅語を発せられた。教育勅語は、日本の国の国柄とその心を表わし、これを教育の根本にすえたものである。  冒頭に「朕(ちん)(おも)うに 我が皇(こう)()(こう)(そう国を肇(はじ)むること宏遠に 徳を樹()つること深厚なり」とある。皇祖皇宗とは、皇祖が天照大神、皇宗が神武天皇と解するのが有力な説である。皇祖皇宗つまり皇室のご先祖が、国を始めたとき、徳というものを立てましたというのが出だしの意味である。その徳とはなにか。これが先ほど述べた「仁」である。天皇が国民に対し、いつくしみ、思いやりを持ってまつりごとを行なうことである。  こうした天皇の御心に応えて、国民は、君に忠、親に孝を実行してきたと勅語は言う。それが「我が臣民(しんみん()忠に克く孝に」の意味である。  忠とはまごころを意味する。まごころをもって、天皇に仕えることを、君に忠という。親に孝とは、子どもが親を大切にすることをいう。このようにして、国民が忠孝を実行してきたことが、日本の国柄の最も美しいところだと勅語はいう。  勅語は、それを、教育の根本にすえようと言っている。「億兆心を一にして 世々厥()の美を際済()せるは 此()我が国体の精華にして 教育の淵源(えんげん)(また)実に此(ここ)に存す」というのがその部分である。
 勅語は、続いて、家庭における道徳、社会における道徳、国民としての道徳を具体的に説く。それは、学校教育だけでなく、家庭教育の指針ともなっていた。だから戦前の世代の日本人は、うそをつかない、約束を守る、よく働く、みなで助け合うなど、外国人も驚くような立派な国民性を持っていた。

関連掲示
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  」について
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2章 日本精神の神髄


 先ほど書いたように、神武天皇の詔、十七条憲法、五箇条のご誓文、教育勅語に一貫して伝わってきたもの。それが、日本人の精神、日本精神といえる。  日本精神という言葉は、戦前広く使われた。昭和8年から日本精神がブームのようになり、多くの学者や有識者が、日本精神を説いた。そのほとんどは、古事記・日本書紀などの書物の中から、日本精神とはこういうものだろうと考えた。しかし、真の日本精神を伝える運動を推進された大塚寛一先生の説く日本精神は、それらととらえ方の深さが違う。
 大塚先生は、真の日本精神は、宇宙の根本原理、万物を生み出す原動力の表れだという。その根本のところまで把握しないと、本当の日本精神とは言えないという。聖徳太子の「和」の精神は人の和を説くものだが、大塚先生は、宇宙万物を貫く法則、調和の理法に立って、日本の国に伝わる精神を見ておられる。そして、日本精神とは、宇宙の根本理法が人間生活のうえに表われたもので、自然の法則にかなっていると説いておられる。  こうして大塚先生は、宇宙の根本理法を体得された境地、万有生成の原動力を発揮されるお立場から、日本精神の神髄を初めて明らかにされた。
 真の日本精神とは、宇宙の法則にのっとって、人と人、人と自然が調和して生きる生き方である。だから、世界中どこにもあてはまる精神である  私たちの先祖は、日本精神の神髄のところまでは、把握できていなかったものの、親から子、子から孫へと日本人の心を伝えてきた。それによって、世界にも稀な立派な国柄を形成し、維持・発展してきた。そのことを今も明らかにしているのが、台湾である。  金美齢氏は、台湾では日本精神は「リップンチェンシン」だといい、今もポピュラーな言葉だという。日本精神は、誠実、勤勉、礼儀正しさなど人間のよいところを集約した言葉として、使われている。例えば「あの店の経営者は、日本精神がある」といえば、「信用ができる」という意味なのだという。(註1

(1) 以下の拙稿をご参照下さい。
関連掲示 ・日本精神の神髄については、「基調」をご参照のこと。

3章 日本精神が失われている現状


 現在では、多くの日本人は、自分の国の国柄を知らない。自分の国に伝わってきた日本人の精神を知らない。そのことが、今日の日本の社会に現れているさまざまな問題の根本原因にある。

 現代日本は、家庭を見ると、家庭の崩壊が起こり、親子・夫婦・兄妹のバラバラ殺人事件が頻発している。また、しつけのできない親が増えている。
 学校を見ると、いじめ自殺が増え、中学生が文科相に手紙を書いて、助けてくださいと訴えている。校内暴力は低学年化し、小学生が先生に暴力を振るう事件が目立っている。
 社会を見ると、企業倫理が低下し、社内の基準を超えた牛乳を使ってお菓子を作っていた会社が問題になっている。美しい国・日本の象徴である富士山では、ごみを捨てて帰る人が多く、富士山がごみの山のようになってきている。
 また国家を見れば、政治家の実態が報道され、事業所費・光熱水費などが取りざたされている。実態は1000兆円ともいわれる膨大な財政赤字があり、それを子供や孫に押し付けるような形になっている。

 このように家族・学校・社会・国家のさまざまなところで、問題が吹き出ている。これらの根本にある原因は、日本人が日本の国柄を忘れ、日本人の心、日本精神を失ってきているところにある。


4章 日本精神は、なぜ失われたか


(1)戦前は、本来の日本精神からはずれて大敗
 なぜ日本精神は、失われてきたのか。  敗戦後、日本精神が失われてきたと考える人が多い。確かにそうだが、大塚先生は、戦前から日本精神からずれてきていたと見ておられる。その大意を述べてみよう。
 明治時代の日本人は、日本精神を中心として一致団結していた。だから、6億のシナや3億のロシアに勝つことができた。ところが、日本人は、それ以後、段々、日本本来の特質を忘れ、一にも欧米、二にも欧米という考えにとらわれてしまった。大正の初めごろから、さかんに外来思想をとり入れ、それを中心に動いてきた。外来思想とは英米の資本主義、自由主義がそうだし、共産主義も入ってきた。その結果、本来の日本精神がないがしろにされ、政治家も日本の本質がわからなくなってしまった。  日清・日露戦争に勝った後、アジアは安定し、自分から攻めて行かなければ他から攻撃されるような心配がなくなった。そうなると次第に、政治家が国のことよりも、自分の利益にとらわれて、腐敗・堕落していった。その政界の腐敗ぶりを見かねて、軍人が政治に口を出すようになった。明治天皇は、「軍人は政治に関与してはならない」という勅諭を出しておられるが、軍人がそのお言葉に背き、政治に介入するようになった。そして、青年将校などが、時の政府を倒せばなんとかなると考えて、5・15事件、2・26事件を起こした。また海外では、軍部が満州事変を起こし、支那事変にいたると、シナで泥沼のような戦いに引きずり込まれていった。  当時、わが国では盛んに日本精神が唱えられていた。しかし、大塚先生は、当時の学者や文化人等が唱える日本精神は、本来の日本精神からはずれてきていると見ておられた。そして、昭和14年9月11日、「大日本精神」と題した建白書の送付を開始された。先生は、独伊と結ぶ三国同盟に反対し、対米英開戦に反対・警告された。奥様の国恵夫人が先生の書いたものを編集・印刷・発行された。毎回千余の建白書を、時の指導層に送り続けた。開戦すれば、日本は大敗を喫し、新型爆弾が投下され、大都市は焦土と化すと予言された。しかし、時の指導層はその建言を受け入れなかった。  そして、ヒットラーやムッソリーニ等の覇道をまねた東条英機が、遂に英米と開戦した。そのため、日本は建国以来はじめての敗戦を喫してしまった。
 昭和天皇は、三国同盟に反対され、英米との開戦を避けるよう強く願われていた。当時の軍部は、明治天皇の遺勅に反し、昭和天皇の御心に背いて暴走した。 
 戦後は、日本精神そのものが間違っているように教育している。しかし、日本精神が悪いのではない。指導者が日本精神を踏み外したのである。大塚先生は、大意このように説いておられる。
 戦後の日本は、いま述べたことを根本的に反省して、再出発すべきだった。しかし、その反省をせずに進んできていることに気づかねばならない。

(2)戦後、日本人が日本精神を失ってきた理由  戦前は、指導層が本来の日本精神を踏み外した。しかし、戦後は、国民全体が日本精神そのものを失ってきている。日本精神を失ってきたことは、戦争に負けた以上に大きな誤りを冒し続けているのである。  戦後、日本人は自己本来の精神を失ってきている。それは、どうしてか。

  敗戦による自信喪失
 日本人は敗戦によって自信を喪失してしまった。欧州の国々であれば、しょっちゅう戦争をしているから、戦争に負けても、またいつかやりかえしてやるというくらいに考えて、善の悪のとは考えない。ところが、わが国は四方を海に囲まれた自然条件に恵まれ、外敵に攻められて敗れるということがなかった。そのため、たった一度の敗戦で自信を失ってしまった。そして、日本の過去のものは、良いものも悪い物も何もかも、封建的だとか古いとかいう理由で捨て去ってしまうという愚かなことをした。

②日本弱体化政策で精神的に骨抜きに
 この背後には、占領軍による占領政策がある。占領軍は、日本が再びアメリカ及び世界の脅威にならないように、日本を弱体化させようとした。  まず戦争の罪悪感を植え付け、日本人を精神的に骨抜きにしようとした。民族の歴史や記憶を忘れさせようとした。日本人としての誇り、愛国心を消し去ろうとした。  教育勅語を否定し、修身教育をなくした。教科書から教育勅語は除かれ、日本人の道徳、精神的伝統を教えないようにした。  憲法までを変えた。GHQがわずか1週間ほどで造った英文の憲法を押し付けられた。銃砲下で言論が規制されるなかで、英文を翻訳して憲法がつくられた。現行憲法は、日本の国の国柄・伝統・歴史にふれていない。前文を読んでも、どこの国の憲法かわからない。天皇の権威と権限を弱め、個人の自由と権利を強調し、責任と義務の少ない規定にした。そのため、国の中心が見失われ、国民が精神的に分裂するようになってしまった。 

  済中心・もの中心、個人中心・自己中心に
戦後の焼け野原から復興するため、父母や祖父母の世代は、苦労した。しかし、経済成長・物質的繁栄が得られると、段々経済中心・もの中心の考え方に陥るようになった。
国家や公共のことを考えず、個人や私の利益を追求するうちに、個人中心・自己中心の考えが広がった。それが家庭にも及び、家族の中でも個人中心・自己中心の考えが強くなった。その結果、親が子どもをちゃんと教育できなくなった。


第5章 日本精神を取り戻し、日本を再建するには


 こうして日本人は、自己本来の日本精神を失ってきた。このまま進めば、日本はますます傾いていくだろう。  日本精神を取り戻し、日本を再建するには、どうしたらよいか。

(1)日本再生のための三つの提言

大塚寛一先生が創始された日本精神復興促進運動は、「日本再生のための三つの提言」を提唱している。その内容については、以下に掲載されている。
これらの提言を実行するとともに、現下(平成19年4月1日現在)の方策を次に述べたい。

(2)教育の改革が第一の課題

まず教育の建て直しが、極めて重要である。現在、安倍政権が教育改革を第一の課題に挙げているのは、大きな意義がある。  戦後60年、日本の教育を規定してきた旧教育基本法は、占領下につくられたものだった。それを一字一句直すことなく、来てしまった。その結果、教育において多数の問題が生じている。教育の基本方針を示す教育基本法に、愛国心・伝統の尊重・公共心が定められていなかった。  これではいけないと、ようやく昨年(平成18年)12月に教育基本法が改正された。100点満点ではないが、国と郷土を愛する態度、伝統の尊重、公共心が盛り込まれた。それによって、国に対する誇りを教える教育や、国旗・国歌について教える教育、道徳を教える教育がようやく可能になりつつある。
 いじめ自殺の頻発、学力の低下等、教育問題は山積している。これに取り組むため、教育再生会議が今年(平成19年)1月に改革のための報告を出した。『社会総がかりで教育再生を』と題し、公教育の再生のために、国民みなの参画を求めている。ゆとり教育の見直し、教員免許の更新制、教育委員会の機能の強化等をはじめ、戦後教育の本格的な改革がめざされている。
 しかし、いくら制度を変え、学校のあり方を変えても、家庭における教育がちゃんとされないとうまくいかない。家庭において、しつけをしっかりし、子どもに基本的な生活習慣を身につけさせることが必要である。改正教育基本法は、家庭教育・幼児教育について新たな条項を盛り込んだ。  第十条に「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」とある。また、第十一条に「幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものである」とある。  しかし、多くの人はこのこと知らないのではないか。テレビ局がたくさんあり、朝から晩まで包装しているが、こういう大事なことを国民に徹底しようとしていない。やる気があれば徹底できることである。
 教育改革への取り組みが始まったように、日本はどん底を打って、ようやく上に向かい出した。だから、いま一人一人が教育や国のことを考えることが非常に重要な時にある。
 

(3)憲法の改正が根本的課題

 さらに、日本を立て直すための根本的な課題は、憲法の改正である。憲法といえば、第9条がまず話題に上がる。国防のことは、当然大事である。それとともに、憲法の全体をつくりなおす必要がある。憲法もまた占領下でつくられ、一字一句変えずに後生大事に今日まで来ている。大塚先生は、現行憲法を「亡国憲法」といっておられる。日本人自身の手で、自分の国の憲法をつくる必要がある。
 憲法は国柄を表すものだと先に述べたが、現行憲法には、日本の伝統・文化・歴史や自然と調和して生きる生き方が盛られていない。これを改め、憲法に、日本の伝統・文化・歴史・生き方を明記すべきである。また、個人の自由と権利に対し、責任と義務をバランスよく盛り込むべきである。
 また現在の憲法には、家族という概念がない。個人中心の内容となっている。家族に関する条項を設け、日本の家族を立て直すことが必須である。

 これから、今年(平成19年)7月の参議院選挙に向けて、憲法改正の議論が高まっていくだろう。憲法をどうするかは、国民の意思による。最後は、国民投票で決めることになっている。国民各自が関心を持ち、日本人自身の手で新しい憲法をつくりあげることが、日本再建の重大課題である。

関連掲示
  教育改革については、以下の拙稿をご参照下さい。
  憲法改正については、以下の拙稿をご参照下さい。

結びに~日本精神の神髄を学ぼう


 日本精神は、日本人だけのものではないと言った。私は、21世紀人類の課題は、二つに集約されると思う。一つは、世界平和の実現。もうひとつは地球環境の保全である。テロリズムや核兵器の拡散で、世界は対立・抗争がたえない。人と人が調和して生きる生き方が求められている。地球温暖化や森林破壊、砂漠化等が進行している。このまま行けば、人類はこの豊かな文明を失ってしまうかもしれない。人と自然が調和する生き方が求められている。  こうした時、人と人、人と自然が調和して生きる生き方を示せるものは、日本精神しかない。世界平和についても、地球環境保全についても、日本には重大な期待が寄せられている。  大塚寛一先生は、「日本人は日本精神に帰れ」と訴えておられる。そして、21世紀には、日本精神が世界で重要な役割を果たすようになると説いておられる。ようやくその深い意味を理解する人々が出てきている。  まず、日本を再建し、そして世界により貢献できるようにめざしたい。そのために、日本精神を取り戻し、さらに日本精神の神髄を学んでいただきたい。  大塚先生の著書に、『真の日本精神が世界を救う』がある。
 アサヒビール名誉顧問の中條高徳先生は、「憂国の士、特に若い人達の必読の書」と推薦の言葉を寄せてくださっている。是非ご一読をお勧めしたい。

参考資料
・大塚寛一著『真の日本精神が世界を救う』(イースト・プレス)





政変を切り抜けるしなやかな生き方



ミツロウです。

この前友人と話している時に

彼の会社は現在同じ業種の競合会社がいくつかあって
この会社を例えば仮にA B C とすると

友人の務める会社Aで日本にまで研修に出し、
友人自ら日本の観光のアテンドまでした社員が

ミャンマーに戻って
あっさりC社に転職したのも
裏切られた感があって
がっかりしたが

数か月後にさらにB社に転職していたあげく

「近くに来たよ~。元気でしたか~?」
と能天気にも友人の会社に顔出しにきた

っていうんですね。

彼はもう、ワケが分からないし
日本観光の時は
あんなに嬉しそうだったのに、、。

もうミャンマーの人の気持ちが分からない、、。
と、落ち込んでいたんですが

この話を知り合いの会社を経営している
ミャンマーの人にすると

「あー、そういう時は久しぶり~って言って
コーヒーでも飲ませて近況でも聞くもんだよ」

と言われて
そんな事出来るか~
って思ったんですけど

今回のテインセイン大統領とシュエマンの
ごたごたを見ていて。
なるほど、、。と。

僕、これまでミャンマーの人は忠誠心が薄いと
勝手に思ってたんですけど

政府がこれだけ不安定であれば
どこか一つに熱烈に忠誠をつくすというのは
確かに危なくてしかたない、、。

2004年の10月にキンニュン首相が失脚軟禁された際は
相当数の情報局の人間や親族が一斉に逮捕された。
というけれど

この時ヤンゴンにいらっしゃった日本人の方に聞くと

軍部の中では穏健派であった
キンニュン首相に頼り切っていた
日本は
情報源を全く絶たれ

10日以上も
何が起こっているのか
正確に把握することが
できなかった。

という。

そう思うと、自分の会社を辞めた社員に
コーヒーを飲ませて話を聞く。というのは
突飛な発想ではなく

常に情報を収集する。
という観点から

なるほど、理に適っているのだな、、と。

ミャンマーという国で仕事をするのは
日本人の好きな「仁義」や「忠誠」
だけではやっていけない。

不安定な中を生き抜く
したたかさ
の様なものも
必要不可欠なのだな

、、、、と今回の政変を巡って実感した。


、、、という話です。

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USDP党首交代劇  ミャンマー



12日から13日にかけUSDP本部を警察に包囲させてUSDP党首不在のまま会議を開き党首多忙のため交代が必要との理由で副党首のテイウー氏が党首に就任した。


この交代劇の真相は我々の知る由もないが、


USDP内で強力な地盤を確保していたトラシュエマン党首が何の抵抗もなく承諾したとは思えない、


また氏の取り巻きはなぜ党首解任を承諾したのだろうか。


以前からテインセィン大統領とトラシュエマン下院議長の不仲は周知の事実だが、これに決着をつけたのが今回の事件だ。


12日未明のニュースではトラシュエマン逮捕とのニュースまで流れたが、決着はUSDP内に留まり下院議長は続投での決着はいかにもミャンマーらしい。

トラシュエマンが党首解任に逆らえなかったのは一家の中での出重大な不祥事が原因とも言われているが、それを裏で操った老獪な政治家がいたことも確かだろう。


私自身クローニー企業の付き合いで黒い噂が絶えないトラシュエマンには大統領になってほしくなかった。


テインセィン大統領は下院議員選挙には立候補しないとのことですが、大統領の目がないわけでないので期待したい。



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Posted by hnm on 金曜日, 8月 14, 2015. Filed under , , , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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