太平洋戦争の銃痕が残るミャンマー鉄道を修復せよ 第9回 詳細設計調査



作業の手を止めて下り列車の通過を待つミャンマー国鉄の職員と日本人技術者たち。金属音が周囲に響き、振動が足元から伝わってきた(著者撮影、以下同)

■川を渡る線路の上で

 右足をここに乗せたら、左足はあそこに・・・。足を順番に出し、木製の枕木を1本ずつ渡っていく。

 そうそう、いい調子。そよそよと頬をなでる風が気持ちいい。「怖いと思うとますます怖くなるよ。平常心、平常心」と後ろから声を掛けてくれたのは、橋梁を担当するパシフィックコンサルタンツの藤本吉一さん。

 大丈夫。怖くなんてない。線路の上を歩いているだけなのだから。ただ、枕木と枕木の隙間にバラストと呼ばれる砂利が敷かれている代わりに川の流れが見えるだけ――。

 「!! ! 」。次の枕木へと右足を伸ばそうとした瞬間、どきっとした。間隔がかなり空いている。またいでいる間にバランスを崩しはしないだろうか。あれほど真下を見るなと言われていたにもかかわらず、一瞬の逡巡の間に足元を凝視してしまい、すうっと血の気が引いていく。

 足元から聞こえるせせらぎの音がやけに耳につく。あろうことか、川の上を3分の1ほど渡ったところで、歩き方を忘れてしまったかのように体が硬直してまったく足が出せなくなったのだ。




川の上だと感じさせないくらいに軽々と移動し作業する技術者たち

そのまま数分経ったのか、それともほんの数十秒の話か、ふと顔を上げると、橋梁の健全度診断を担当するオリエンタルコンサルタンツグローバルの河合伸由さんが数メートル先から心配そうにこちらを振り返っている。

 ふと、横から手が差し伸べられた。先に渡り切っていたミャンマー国鉄の職員が戻ってきてくれたのだ。

 彼がにこっと微笑み手をしっかり握ってくれた途端、全身からほっと力が抜け、再び足を踏み出すことに成功した私は、そのまま男性職員と一緒に橋の中央部分に設置された広めの足場にたどり着き、そこで一息ついた後、なんとか向こう岸に渡り切ることができた。

 ここは、ヤンゴン中央駅から車を40分ほど北東方向に走らせたピンロン地区に架かる鉄橋の上。水面からの高さは10メートルぐらいか。雨期明けを間近に控えたこの時期は、川の水位も最高時に比べるとだいぶ下がっているという。

 ヤンゴンから首都ネピドーを通り、国土のほぼ中心に位置する古都マンダレーへとつなぐ南北約600kmの線路上には、鉄道橋梁が長短合わせて400橋以上架かっているが、その中で最も長い「No.13橋梁」と呼ばれるこのトラス橋は、英国支配下の1920年に建設された。

 決して等間隔に並んでいるとは言えない枕木は、角が削れて細くなっているものもあれば、苔が生えて滑りやすくなっているものもある。

 ふと、隣の国鉄職員が立ち止まり、橋の上部工に空いた穴を指差した。英国との独立戦争の際の銃痕だという。一瞬、ここが川の上だということを忘れ、この橋が見てきた約100年の歴史に思いを馳せた。

■補修か、架け替えか

 橋の対岸では、ヘルメット姿の男性が4人、地上と何ら変わらぬ風に軽やかに枕木の上を歩き回っては、きびきびと動いていた。

 両手で作業できるよう、記録用のシートも、筆記用具も、測量用の道具も、すべて腰から金具でぶら下げている。

 「降ります」「了解、滑落に気を付けて」というやり取りが聞こえたかと思うと、1人の男性が幅10センチほどのリング状のひもの片方を枕木にくくりつけ、ぶら下がった輪っか部分に足を掛けて、あっという間にするすると降りていった。




風に吹かれても動じることなく作業を続ける技術者と、それを見守るミャンマー国鉄の職員たち


と思えば、どこに潜っていたのか、前方で別のヘルメット姿の男性が線路の下からひょっこり顔を出す。彼らは、普段は日本国内でJR東日本が所管する鉄道橋梁の補修に携わっている技術者たちだ。

 将来、鉄道が改良されて列車の速度が現在の時速30kmから最大で時速120kmまで上がった時に、この橋梁は全面的な架け替えが必要か、部分的な補修で良いかを判断する健全度診断を行うためにやって来た。

 とはいえ、植民地時代に建設されたこの橋梁には、設計図面はもちろん、どれぐらいの耐久荷重で設計されているかという基礎情報すら残されていない。そのため、4人はまずこうして橋梁の腐食・損傷状態を目視で把握し、自分たちであらかじめ用意した調査用紙に記録しているのだ。

 ひととおり目視検査が終わると、上部工にひずみ計を設置し、たわみ計も併用して、列車が走行するたびに橋梁にどれぐらい内部応力が発生したわむのか測定する。また下部工には約30kgの重りを橋脚にぶつけて振動数を測定し、建全度を推定する。

 技術者の1人が、「この橋梁には銃痕を後から補修している箇所が散見される。一般的に溶接部分は強度が低下するため、今回はその影響がどの程度あるかについても調べる必要がある」と話してくれた。

■地元企業の士気を高める

 一方、2014年9月、首都ネピドーでは中央駅に隣接したミャンマー国鉄の会議室である会議が始まろうとしていた。

 副総括で土木のチームリーダーを務めるオリエンタルコンサルタンツグローバルの藤吉昭彦さんら調査団メンバーのほか、ミャンマー国鉄のウー・ソー・バレンタイン副総裁など約10人、さらに2社の企業関係者ら20人あまりが顔を並べている。




デポ内に積まれたコンクリート製の橋桁部分

この2社は今回、ヤンゴンからマンダレーに至る約600kmの鉄道のうち、タウングーまでの約250km区間の地質と強度を調べるために全321地点でボーリング調査を請け負った地元企業だ。

 これほど広範囲にわたる地質調査は、ミャンマーにとって初めてだ。冒頭、藤吉さんは、「今回の調査で得られる地質データは、ミャンマー鉄道の将来にとって非常に貴重なものになるだろう」とあいさつした。

 しかし、この会議をセットした同氏にはもう1つ狙いがあった。地元企業の鼓舞と牽制である。

 今回の調査はどちらの企業にとっても経験したことがない規模のものである上、雨期が明ける前のこの時期は水たまりやぬかるみが点在しており、難条件ぞろいの作業となる。

 だからこそ藤吉さんには、工程管理をおろそかにされたり、実際には作業していないのに虚偽のデータを報告されることを何としてでも避けたいとの思いがあった。

 「両社をミャンマー国鉄に引き合わせ、調査の意義を直々に説いてもらうことで彼らの士気とモチベーションを高め、誠実な仕事をするよう働き掛けることがこの会議の一番の目的だった」(藤吉さん)。

■施工時のリスクを下げる

 ミャンマー支援の目玉として日本政府が進めるヤンゴン~マンダレー間鉄道整備事業。その詳細設計調査(D/D)が始まった。

 ミャンマー全土を対象に2012年12月末から約1年半にわたり実施されてきた運輸交通分野のマスタープラン調査と、その中で実施されたフィージビリティースタディー(F/S)を受けて進められている。

 この調査の目的は、実際の改修工事に向けて具体的な設計図面を引くことである。

 応札企業はこの図面を基に施工方法や手順を考え、工費を見積もり入札するが、この図面がいい加減に作成された場合、安価な見積もりを出して落札した企業が実際の施工段階に入ってから「地形条件が想定と違う」と追加コストを要求してきてトラブルに発展したり、不適切な施工が行われることになりかねない。




地質調査に必要な重機を運ぶための特別貨車

例えば土木工事では、契約形態にもよるが、固定的な総額を合意して工事や作業を請け負うランプサム契約の場合、えてして作業量をできるだけ抑えようという受注者側の意識が働くため、見積もりが甘く、施工が“安かろう悪かろう”になる可能性が高い。

 また、設計と建設を1つの契約に集約するデザインビルド方式の場合は、設計責任を受注者が負うため、施工時のトラブルの責任も含め、多くのリスクを受注者である建設企業が負わざるを得ない。

 施工段階におけるこのようなリスクの高さは、日本の建設企業が海外、特に開発途上国における建設事業を敬遠する大きな理由となっている。

 だからこそ日本は、このような受注者のリスクを軽減するため、設計を発注者側で行う発注方式(施工のみの請負方式)を採用するとともに、精度の高い入札図書を作成することによって“安かろう悪かろう”をできるだけ排除し、参加企業、特に日本企業にとってのハードルを下げるため、さまざまな工夫を凝らしながら丁寧に詳細設計を進めていく。

 施主であるミャンマー国鉄と地元企業を引き合わせて企業側のコミットメントを高めようとするのも、実際に鉄道橋を歩き回って健全度を診断するのも、まさにそうした取り組みの一環だと言えよう。

 特に前出のNo.13橋梁は、全面的に架け替えるか、改修だけですむかによって本プロジェクトの総事業費が大きく変わってくるため、今回の健全度調査が持つ意味は非常に大きい。

 この国の成長を“離陸”させる牽引役として期待される鉄道の再生に向け、1ステージ進んだ日本の協力の最前線を追う。

 (つづく)

 本記事は『国際開発ジャーナル』(国際開発ジャーナル社発行)のコンテンツを転載したものです。

玉懸 光枝

JBpress

Posted by hnm on 火曜日, 8月 25, 2015. Filed under , , , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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