ミャンマー鉄道の安全を50年守ってきた日本の技術


リレー装置を確認する電気技術開発の近藤寿彦さん(筆者撮影、以下同)

■ テニスラケットで通行確認? 

 雨期明けの日差しが思い切りよく照り付ける正午近くのチョウェブエ駅。

 駅舎の中から電話が鳴る音がかすかに聞こえてきたと思ったら、男性が1人出てきて線路の少し先の方まで小走りで駆けて行った。手に何か持っている。ちょうど、ガットが張られていないテニスラケットのような形をした木の枠だ。

 興味をそそられ、そっと近付いてみる。目を凝らして見ると、輪の先端部分に何か白いものが付いている。「列車の通行許可証がゴムでくくりつけられているのが分かりますか」と、電気技術開発(JEC)国際部の近藤寿彦主任技師が教えてくれた。

 この駅と次の駅の間に先行列車が走行したり停車したりしていないことを確認し、この駅を通過して良いことを示す“通行手形”のようなものだという。

 しばらくすると、汽笛と共に下りの急行列車が近付いてきた。男性が、枠の柄の部分をつかんで線路脇から列車の方にぐいっと差し出す。その動きにつられて列車を見ると、先頭車両から車掌らしき男性が身体を乗り出している。

 すれ違う瞬間、車掌が男性から差し出された輪の部分にひょいっと腕を通して木枠ごと受け取り、許可証を外してから、列車が駅舎の前あたりを通過するタイミングで木枠だけそっと投げて寄越した。
 そのまま走り去っていく列車の後姿を見送りながら、先ほどの男性がほっとした表情で戻ってきて、線路脇に転がっている木枠を拾い、駅舎の柱の所定の場所に掛ける。


受け渡し用の木枠は、普段は駅舎の前に掛けられている

 「日本でも一昔前は同じようにしていたなぁ」などと懐かしむ声を背中で聞きながら、たった今見た、シンプルながら確実な受け渡しの仕組みに半ば感心し、半ば微笑ましさを感じていた筆者だったが、信号専門家の近藤さんに「信号装置が正常に作動していたら、こんなやり取りはしなくていいんですよ」と声を掛けられ、はっとした。

 言われてみると、確かに、線路脇に立っている色灯は、赤と青のどちらも点灯していない。どうやら、ほのぼのとした先ほどの光景こそが、ミャンマー鉄道の現状を端的に表しているようだ。

■ 動かない設備

 線路脇に設置され、前方の状況を運転士に伝える信号。改めて書くまでもないが、前方に他の列車がいるかどうか確認し、進入の可否を的確に知らせることによって衝突事故を防ぐという、重大な機能を持つシステムだ。

 具体的には、レールに電流を流し、スイッチのONとOFFを切り換えるリレーを用いた継電連動装置を作動させてリレーの状態を見ることによって、一定区間(閉そく区間)内に列車がいるかどうか検知し、信号を現示(点灯)させて進入の可否を運転士に知らせる仕組みである。

 しかし、ミャンマーの鉄道では、乗客の安全に直結する重要なこの信号システムの存在感が驚くほどない、というより、ほとんど機能していない。

 1つの大きな理由は、電力不足である。日本コンサルタンツ(JIC)に所属する電力専門家の和木浩さんは、「電力が不安定で停電も多い上、自家発電の整備も不十分」だと指摘する。

 この国のほとんどの駅では、そもそも周囲の集落をはじめ地域全体が電化されていないため、遠方の発電所から最寄りの中継所まで送電されているとはいっても非常にロスが多いためである。

タウングー駅の信号司令室で専用電話を使い列車の位置を確認する駅員

さらに、信号そのものの故障や不具合の多さも深刻だ。この国の鉄道にはさまざまな国の信号保安設備が導入されており、ヤンゴン~タウングー間の38駅についても、22駅が中国製、6駅がインド製(現在工事中)、2駅がドイツ製、5駅が英国製、日本製と韓国製、およびミャンマー製が1駅ずつとなっているが、ほとんどが正常に稼働していない。

 せっかく各国が設置した信号保安設備は、ほとんどの駅でほこりをかぶっているか、カギ付きの専用の小屋に収められたまま眠っており、列車を検知する装置も作動しない。

 駅から次の駅へと電話で連絡を取り合って列車の位置を確認し、通行許可証を手渡して走らせている背景には、こんな実態があるのだ。

 こんな牧歌的なやり方でなんとかなっている理由は、レールが大きく上下に波打つほど老朽化しており、維持管理も不十分で列車が時速60km程度までしかスピードが出せない上、上り下り合わせてもこの区間は日に10数本しか運行していないためである。

 しかし、今後、「ヤンゴン・マンダレー鉄道整備事業」によってヤンゴン~マンダレー間のレールや地盤が改良されれば、列車の走行速度が上がり、運行本数も増えるだろう。当然、適切な安全対策と効率的な列車管理を行うために、信号システムの近代化が必要になる。

 そこで近藤さんたちは、この事業の詳細設計調査(D/D)の一環として、鉄道信号の現状を確認し、アップデートに必要なコストを算出すべく、1駅ずつ回って調査しているのだ。

 チームは総勢10人。電力、信号、通信、建築などの各専門家らが参加している。信号システムは専門が細かく分かれているため、1人で複数の役割を兼ねることが難しく、それぞれの技術者が手分けして調べた結果を持ち寄り整合性を取るのだという。

■ 信号の博物館

 チョウェブエ駅から4駅北には、古都タウングーの街が広がる。この国の歴史上、最大規模の領土を誇ったタウングー王朝の都が14世紀から18世紀まで置かれていた地だ。

 今なお残る旧城壁やお堀に周囲を囲まれているためか、こじんまりとした端正な印象の街なみに静謐な空気が満ちている。

50年以上前に戦後賠償によって供与された連動装置の銘盤

駅も、旧城壁の中にある。このあたりでは最大の駅だ。といっても、規模としては、日本の地方都市の郊外をとことこ走るディーゼル列車の停車駅とほぼ同じといったところだろうか。

 ホームの中ほどに3階建ての小屋が建っていた。「シグナルタワー」だ。1階は電源室、2階は信号機器室、そして3階は信号指令室になっている。

 2階部分に上がると、成人男性の背丈ぐらいのガラスケースが部屋いっぱいに何列も並べられているのが目に飛び込んできた。たくさんの四角い箱が隙間なくケースの中に積み重ねられている。リレーを用いた連動装置だ。1つ1つがケーブルでレールまでつながっているという。

 銘盤に「KYOSAN ENGINEERING WORKS」という文字が刻まれているのに気が付いた。日本の信号機メーカーの1つ、現在の京三製作所だ。1957年製。戦後賠償として日本が無償で入れた機材の1つだという。ちゃんと稼働しており、カチ、カチ、カチ・・・という小さな音と低いモーター音が響いている。

 「日本では30年おきに新品に交換している。こんなに長い間使い続けていることに驚く」と近藤さん。

 このタイプはかなりの年代モノで、もはや日本には残っていないという。「ここはまるで信号の博物館」という近藤さんの言葉を聞き、長年、地道に維持管理をしてきたこの国の信号技術者たちの姿を思い浮かべた。
■ 50年間の信頼

 あたかもショーケースのように各国の信号システムが納められているミャンマーの鉄道。

 供与されてわずか数年の間にほとんどが機能しなくなってしまう中、50年以上前に供与された日本製の信号システムが今なお動き続けていることは、ミャンマー国鉄(MR)の職員たちの目に、さぞ驚異的に映るのだろう。近代化に向け、この国からは日本製の信号への要望が強く寄せられている。

 実際、国によって信号の仕組みはまったく異なっており、操作から維持管理、保守点検までそれぞれ独特のやり方を学ばなければならない現状を考えると、適切に維持管理する人材を効率的に育成し、配置するためにも、部分的な機材のリプレイスではなく、システムの統一が望ましいと言えよう。

 「列車を検知して指示を出す信号は、まさに鉄道全体の“心臓部”」だと胸を張る近藤さん。その姿は、50年の時を超えて動き続ける日本製の信号に信頼を寄せるこの国の人々に応えたいという使命感に燃えている。

 (つづく)

 本記事は『国際開発ジャーナル』(国際開発ジャーナル社発行)のコンテンツを転載したものです。
玉懸 光枝
JBpress

Posted by hnm on 水曜日, 8月 26, 2015. Filed under , , , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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