成功の鍵は「天の時、地の利、人の和」…ミャンマージャポングループ会長・永杉豊氏に聞く
bcjpnoa, bcjpnoo, Htun Naing Myint 日曜日, 3月 22, 2015

2011年3月の新政権発足後にミャンマーへ進出した日本企業は、昨年末までに民主化以前の4倍近くに増えた。昨年1年間で同国を訪れた日本人は8万人に近い。観光客や在留邦人にとって重要な情報源が日本語情報誌だ。創刊2年で黒字を達成した月刊誌「ミャンマージャポン」の発行人で、ミャンマージャポングループ会長の永杉豊氏に現地事業の成功の鍵と事業環境の展望を聞いた。
■2年で年商1億円超
--2年で情報誌が黒字になると想定していたか
「事業全体では達成できると想定していたが、情報誌単体ではもう少し時間がかかると思っていた。13年5月に現地法人を設立、6月に情報誌を創刊した。広告収入だけでは厳しいと考え、人材紹介、進出支援、不動産仲介なども始め、13年10月には事業全体で黒字になった。全体の売上高(14年度見通し)は約130万ドル(約1億5542万円)で、内訳は広告7、人材2、不動産1の割合となっている」
--成功の理由は
「『天の時、地の利、人の和』に尽きる。特に時節が合ったことで先行者利益を得ることができた。進出を決めた13年4月に検閲制度が緩和された。そして、ミャンマービジネスに興味を持つ人が急増したタイミングをとらえたことが大きい」
--ミャンマー進出を決めたきっかけは
「もともと上海でフリーペーパーやネットワークビジネスを手がけており、12年に日本の出版社と組んで新しいビジネス情報誌の発行を計画した。しかし、尖閣諸島をめぐる問題で反日運動が激化したため発行を断念。ちょうどその頃、日本ミャンマー友好協会の栗原健一事務局長(現専務理事)と知り合った。それが縁でミャンマーに来ることになった」
--中国の前には米国で会社を経営するなど、海外でのビジネス経験が長い
「知人の商売を手伝ったことがきっかけで商売に目覚め、学生時代にアルバイトでためた70万円と親から借りた30万円でジーンズカジュアルの販売会社を起業した。米国から直接買い付けるため、1991年に米国で現地法人を設立した。アメリカンカジュアルいわゆるアメカジが日本でブームだった頃で、めちゃくちゃもうかり、米国西海岸の豪邸に住んでいたほどだ。しかし、その後にブームが去り、焦って手を出した商標権ビジネスでだまされた。帰国後、数億円の借金を抱えたが助けてくれる人がいて、新しい会社を起こし、借金も完済できた」
■失敗から学ぶ
--成功も失敗もした経験から、ミャンマーでのビジネスで気を付けることは何か
「岡目八目(おかめはちもく)というが、失敗したからこそ、一歩引いて見ることができるようになった。ミャンマー市場は(未開発で障壁がない)『ブルーオーシャン』とよくいわれる。しかし、見えないだけで水面下には何が潜んでいるか分からない。だからこそ正確な情報が大事だ」
--やはりミャンマーでのビジネスはリスクがあるか
「リスクがあるからこそ、チャンスも大きい。これまで、日本企業は調査ばかりだったが、これから本格進出が始まる。ミャンマーの人は、義理人情に厚く、仲間意識を持っている。そうした点を生かせば、うまくいくだろう」
--最近は賃上げ要求デモが起きるなどしている
「ミャンマーの人はこれまで団体交渉などしていないので、限度が分からない。もらえるものはどんどんもらう。急激な賃上げで企業が撤退し、仕事がなくなるとは考えていない。今はそういったことが分かるようになるまでの過渡期だろう」
--最近、海外特にアジアで起業したいという若者が多い
「うちを訪ねてくる若い人もいるが、何かをやりたいというだけで、具体的な計画もなく英会話すら満足にできない人も少なくない。度胸とやる気は買うが、これではどこへ行ってもうまくいかない。ただ、若い人にとって、今のミャンマーで働いてみることは、将来、いい経験になるだろう。日本の明治維新もかくやといわれるほど、一つの国がこれほどの勢いでより良い方向へ変化しているところを見る機会は、そうないだろう」
(編集委員 宮野弘之)
ミャンマージャポングループ会長の永杉豊氏(写真:産経新聞)
■ながすぎ・ゆたか 東京都立工科短期大学(現首都大学東京)卒。在学中に起業。米国、中国で現地法人などを設立。現在、ヤンゴン在住。ヤンゴン和僑会会長、日本ミャンマー友好協会副会長、日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。1960年1月23日、神奈川県大和市生まれ。ミャンマージャポンのホームページ(http://myanmarjapon.com)。

