恋しい日本へ、帰れない「ビルマの竪琴」



ミャンマー(旧ビルマ)の小都市ムドンに住むサンサンテイさん(53)は父が日本人、母がミャンマー人である。日本名を高山サクラという。
 この夏、映画「ビルマの竪琴」を生まれて初めて見て、大泣きした。中井貴一さん演じる主人公が、泣きたくなるほど亡き父に似ていたからだ。
 日本では不朽の名作として通っているが、作品の主舞台のムドンでは知られていない。サクラさんが見たのも、記者が日本から持参したDVD版だった。
 サクラさんの父は医師だった。両親と死別し、北京の大学で医学を修めた。終戦直後に北京からミャンマーへ移る。患者さんの娘と結婚し、娘4人に恵まれた。医院も順調に伸びた。
 50歳を迎えた1962年、運命が暗転する。軍事クーデターで政権を握ったネウィンが外国人締め出し政策をとり、病院が閉鎖された。父は無念さに耐えてタクシー業に転じた。
 「やっぱり自分は日本に帰るわけにはいかない」。主人公の水島安彦上等兵がつぶやき、オウムが口まねをする。クライマックスで名セリフを聞いて、サクラさんは雷に打たれた。父の言葉を思い出したのだ。
 「日本は恋しい。でも帰るわけにはいかない。いったん出たら、ミャンマー政府は絶対に再入国を認めない。お前たちといっしょに暮らせなくなる」
 大戦中、日本は敵国だった。「日本兵と仲良くして 赤ちゃんできた 兵隊は見捨てて帰った」。そんな歌が流行した。70年代のベストセラー「血」は、ミャンマー人女性と日本兵との間に生まれた息子がたどる苦難を描いた小説である。サクラさんも学校時代、「お前、日本人だろ」といじめられた。
 高山家は日本語を封印し、父の出身国を隠して暮らした。サクラさんが小説「ビルマの竪琴」翻訳版を読んだのは15歳のころ。父は手も触れなかった。
 対日意識がやわらいだのは、日本が高度成長を遂げてから。サクラさんら姉妹は順に日本へ留学した。日本の繁栄ぶりを収めたビデオが姉妹の誰かから届くと、父は画面に見入った。ひざを両手でたたいて喜び、涙をポロポロこぼした。
 それでも父は生涯、ミャンマーにとどまった。はるか日本を思いつつ、87歳で亡くなった。
 ムドンは商都ヤンゴンから遠く、開放経済の波が届かない。静かな自宅で「竪琴」を見終えてサクラさんは息をついた。
 「もっと早く見ればよかった。父に見せたかったなあ。きっと大泣きしたでしょうね」
 ミャンマーと日本――。悲しいほど遠い2国を、これほど深く結んだ映画はほかにない。
朝日デジタル


Posted by hnm on 水曜日, 9月 25, 2013. Filed under , , , . You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0

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